普通に動けなくなった最初のお点前
茶道の稽古の話です。
茶道稽古を始めて、何度目かの稽古で
ようやくお点前の練習をさせてもらいました。
それまでは袱紗捌きや茶巾の扱いといった割稽古で、
部分的な動きを覚えているだけでした。
いざ一連の流れになると、まったく違う感覚になったのを覚えています。
先生と稽古仲間に見つめられる中、道具を持って茶室に入ります。
一歩歩くと「そこ右足からです」と注意が飛んできます。
柄杓(ひしゃく)を扱っても釜に上手にかけられない。
茶杓をナツメの上に置くのに、茶杓がブルブル震えます。
緊張というか、間合いの感覚がわからなくなるというか、
普通に動けなくなるんですね。
みんなに見られている中で歩くと、いつものように歩けない。そんな感じです。
さらに、茶道のお点前は、すべての一連の動作が決められているのですが、
この手順が全く思い出せません。
薄茶点前で居住まいを正して、手前を始めるのですが
「さて次は?」となります。
先生「ひしゃく構えてください」
「はい」柄杓を構えて、えーっと、そう、釜の蓋!
みたいな感じで、何度も頭の中で確認しながら、
かつ先生に聞きながらでないと動けませんでした。
考えないと動けない状態から、少しずつ変わっていく
それが、稽古を重ねていくうちに、少しずつ変わっていきます。
最初は一つひとつ確認しないと動けなかったものが、だんだんと考えなくても体が動くようになってきます。
さらにそこから、「どうすれば美しく見えるか」という意識に変わっていきます。
先生「福さんもだいぶ動けるようになりましたね」
自分「ありがとうございます」
先生「あっ、そこの柄杓の扱いですが、(先生が腕のカタチを見せながら)指先を揃えて、肘をこのくらいの角度にした方が美しくなりますよ」
というように、細部に指摘が入るようになります。
同じ動作でも、ただこなすのではなく、動きの質を整えていく感覚です。
静寂の中で音が浮かび上がる
手順に追われていたときには気づかなかったのですが、
茶道の稽古をしていると、ふと音が脳に届く瞬間があります。
静かな茶室で、稽古していると
釜の湯がポコポコと立つ音。
湯を戻すときの音。
茶室の周りで聞こえる鳥のさえずり。
普段なら気にも留めないような音が、はっきりと聞こえてきます。
この時間は、瞑想に近いものがあるのではないかと感じています。
何かを考えるというより、ただその場の静けさを味わっているような感覚です。
最初に、この静寂に気がついたときに、茶道って贅沢な時間だなと
感じたのを覚えています。
丁寧に扱うという感覚が体に入る
お点前では、姿勢を正して、ものを丁寧に扱います。
中にはかなり高額な道具もあり、畳に落としたり、ぶつけたりしないように、スッとしつつも、そっと動かします。
この丁寧に扱うということを意識できたとき
日常の自分は、かなり「がさつ」ということに気がつきました。
携帯をソファーにボンと置いたり、
本屋で読んでいた雑誌をそのまま投げるように戻したり。
そういう自分が、はっきり見えてきました。
日常の動作が、意識に上がってくる
時々「茶道TIME」として、
日常の中でも同じような動きを意識するようにしています。
姿勢を正して、なるべく音を立てずに歩く。
部屋に入るときの右足、左足を意識する。
できるだけ音を立てないようにモノを動かす。
これをやってみると、日常の動作がすべて意識的に感じられます。
そして、感じれば感じるほど、自分のモノの扱いがいかに雑だったかにも気づきます。
変わったことと、変わっていないこと
茶道の稽古を10年間続けているのですが、
最初は考えないと動けなかったものが、
いつの間にか考えずにできるようになってきました。
指先や肘の角度まで神経が行き届き
茶碗を持つ手も、以前よりは整ってきた気がします。
ですが、それがそのまま日常に出ているかというと、そうでもありません。
相変わらず、コップをテーブルの上にタンと音をたてて置いたり、
雑に物を扱ってしまうこともあります。
せっかく茶道を習っているのだから、もう少し丁寧に、ゆったりとした動きができるようになりたいものです。
